マーダーミステリーの世界へようこそ

マーダーミステリーの世界へようこそ

刈谷圭司

刈谷圭司

2020年12月14日

株式会社アークライト
ミステリーポータブルシリーズ担当

12月14日の
マーダーミステリー

マダミス界で活躍中の酒井さん、江神さんに挟まれ、さしたる貢献もしていない身として非常に恐縮しております。
アークライトの刈谷と申します。

刈谷とマーダーミステリー

わたしとマーダーミステリーのかかわり自体は、割と早い方ではないかと思います。
2018年8月に北京で開かれたDICE-CONに参加した際、中国語翻訳をされている水谷さん(このアドベントカレンダーでも12月22日を担当されております)と知己を得ることができまして。
その際、同行していた秋口くん(このアドベントカレンダーでは12月2日を担当)が『王府百年』を購入し、「遊びたいから翻訳してほしい」と水谷さんに依頼したんですね。
2018年9月下旬、翻訳が完了した際、プレイヤーが必要だからと声をかけていただき、遊ばせてもらったのがわたしのマーダーミステリー初体験となりました。

水谷さん以外、誰もゲームのシステムや流れ、作法的なものも何も理解していない中、なんと犯人役を引いてしまいまして。
夢中でプレイし、最終番で非常に重要な情報を入手することができ、その情報を握りつぶしてシラを切り、捕まらずにすんで非常に興奮したことを記憶しています。
「これはTRPGや人狼とは、似て異なる凄い体験だぞ」と実感し、「これは日本でも流行るな!」と確信したものです。
実際2019年、あれよという間にマーダーミステリーがゲーム業界で注目を集め、大きな潮流となったのはご存知の通り。

秋口くんも即座のタイミングで『九頭竜館の殺人』を皮切りに次々作品を発表したわけですが、わたしはと言いますと、言い訳すればゲームマーケットやボードゲーム制作業務が忙しかったため、正直に言えば愚鈍なため、状況にまったく付いていけずにいました。

ただ、みなさんが競って素晴らしい、本格的な作品を発表されている中で、導入用という切り口の作品はあまり用意されているとは言い難いなという思いがあり。
やはり熱心に遊ばれるファンの方がおられる一方、
「マーダーミステリーって面白そうだけど、友達を8人集めるのは大変」
「お店もあるけど、見知らぬ人とゲームするのはちょっとためらいが」
……みたいな層は、確実にいるよなと。

凄い速度で高度に本格化していく作品群の中に突入する勇気はなかったのですが(笑)、導入用作品を安定供給することでマーダーミステリー・シーンの盛り上がりに貢献できたらと企画したのが「ミステリーポータブル」シリーズです。
かんちょーさんに作成いただいた『消えたパンツと空飛ぶサカナ』
も、おかげさまで好評いただいております。
春にはかんちょーさんのマダミス第2弾、『ロナエナ(仮)』も発売予定ですので、どうぞお楽しみに!

12月14日といえば……?

と、これで終わるとただの宣伝みたいになってしまいますので、最後にちょっとだけ役に立つかもしれないネタを。

みなさん、今日、12月14日と言えば何の日でしょう。
そう、わたし刈谷の誕生日――とかでは、まるでなく。
日本人なら常識、「赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした日」ですね。はい、日本人の常識。

……わたしが子供のころ(1980年代)は、12月になれば必ずどこかの局が「忠臣蔵」の新作ドラマを作って流していたものですが、気付くとどこも時代劇を作らなくなりましたね。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)とか吉良上野介(きらこうずけのすけ)、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)とか、いまの若い人は名前も聞いたことがないかもしれませんね~。

ざっと「忠臣蔵」の筋立てを語りますと……。

時は元禄14年(1701年)。江戸は5代将軍徳川綱吉の時代。
幕府が朝廷の使者を迎えることとなり、その役を播州赤穂藩(ばんしゅうあこうはん)の藩主浅野内匠頭が仰せつかったと。その指南役が吉良上野介だったわけですが、彼が浅野内匠頭にいろいろ意地悪をしたもので、浅野内匠頭もある日堪忍袋の緒が切れて、江戸城内であるにもかかわらず小太刀を抜き、吉良上野介に切りかかり、傷を負わせてしまいます。
徳川綱吉と言えば生類憐みの令を出すほどですから、暴力を排除し平和な世を築こうと尽力した将軍でして。それが朝廷の使者を迎える際、江戸城内で刃傷沙汰を犯したということで激怒。
浅野内匠頭は即座に切腹、赤穂藩は改易となります。
仰天したのは赤穂藩の面々で。
特に筆頭家老大石内蔵助は、難しい判断を迫られます。
藩内には、吉良上野介にも非があるのに、あちらは無罪でこちらは切腹改易では道理が通らんと、吉良を殺して俺も死ぬという過激な連中も出ますが、大石内蔵助としては、まずはお家の存続が第一と、内匠頭の弟(内匠頭はまだ若く、子供がいなかった)を藩主として、お家を再興できるよう幕府に働きかけます。
一方幕府は赤穂藩に不穏な動きありとの情報を掴んでいますので、大石内蔵助の動向は常に見張られている。
そこで内蔵助は毎日飲み歩き、遊び歩き、必死で「仇討ちなんて毛頭考えておりません」アピール。赤穂城を幕府に引き渡し、あくまで恭順の意を示し続けます。
それがまた過激派の怒りに火を注ぎ、仲間は空中分解寸前。
そんなこんなで1年が過ぎ。浅野内匠頭の弟の処分が決まります。結果は「広島藩預かり」。これは事実上お家再興の可能性が消えたことを示していました。
そこで大石内蔵助もついに仇討ちを決意。
ところがいざ実際に仇討ちするとなると、それまで威勢の良かった者が1人抜け2人抜け。こうなったらこうなったで空中分解寸前。
紆余曲折の末、47人が吉良邸討ち入りの血判状に記名します。

泣けるのが「南部坂涙の別れ」。
討ち入り直前、大石内蔵助は仲間の血判状を胸に、浅野内匠頭の死後は尼となり瑤泉院(ようぜんいん)を名乗っていた、内匠頭正室の住む南部坂の館に向かいます。
瑤泉院も心中期するものがあり、「内蔵助、周囲の者はお前を悪く言っていたが、私は信じておったぞ」「殿の仇を討ってくれるのじゃな」と語りかけます。
ところがその瑤泉院の館に、吉良の女スパイがいることに内蔵助が気付きます。ここで「その通り。今夜やりますよ」と言ってしまうと、それが吉良邸に知られて討ち入りに備えられ、討ち入りは失敗してしまう。
そこで内蔵助、最後の一芝居、「いや、もうわたし隠居して田舎に引っ込みますんで、最後の挨拶に来ただけっす」と。「最後に殿の位牌にご焼香させてください」と言うんですね。
これには瑤泉院も頭にきて、「この腑抜けが」と。「お前のような者を信じ、かばい続けてきた私が愚かだった」「お前の焼香など、殿が喜ぶものか」と、焼香を許さず追い出してしまうんですね。
内蔵助は心で内匠頭に今夜の決行を報告し、血判状をそっと置いて去っていきます。
内蔵助去ったのち、瑤泉院も血判状に気付きます。
「これは?」
「ああ……!」
瑤泉院、すべてを悟り雪の南部坂に飛び出しますが、すでに内蔵助の姿はありません。
「内蔵助、許しておくれ……!」
これが「南部坂涙の別れ」であります。

その夜、12月14日。
赤穂四十七士は吉良邸を襲撃、激闘の末、吉良上野介を打ち取り、その首を浅野内匠頭の墓前に供え、幕府に自首します。
世間は仰天。
関ヶ原からはや100年。太平の江戸の世に、主君のために、死を覚悟で仇討ちを決行する侍が47人もいたということで、大騒ぎになります。
除名嘆願なども行われる中、やはり判決は全員切腹。
しかし赤穂四十七士の忠義の心は、人々の心の中に残り続けたのである――。

とまあ、こんな話です。
まあ、かなりの部分は創作らしいですが(笑)。

ついカッとなって長々語ってしまいましたが、30~40年くらい前までは日本人に屈指の人気を誇ったコンテンツ。
令和のいま、世の価値観も変化し、まんま「忠臣蔵」でやっても売れる保証はありませんが、例えば……。
「主君の仇は誰か」
「本当に主君を思う忠義者は誰か」
「仇討ちに疑問を持つ者は誰か」
「仇討ち集団に紛れ込んだスパイは誰か」
みたいな感じの、「忠臣蔵インスパイア・現代ものマーダーミステリー」とかならアリかも? など夢想して、今回のテキストの締めとさせていただきます。

長文失礼いたしました。

刈谷圭司

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