そんな流れの中で、日本各地でマーダーミステリーが広がり、様々な作家さんがシナリオを書き上げ、公演し、2020年末現在マーダーミステリーという文化は一気に広がりました。 プレイヤーも初心者から100本近いシナリオを遊んだことのあるプレイヤーまで様々な方がいらっしゃいます。
様々な方と出会い、いろんな作家さんと仕事をして私がマーダーミステリーに携わった中で心に残っている言葉があります。それはマーダーミステリーが流行る少し前、酒井りゅうのすけ氏がおっしゃった「マーダーミステリーは強度の弱いゲームです」という言葉です。
自由に会話や交渉が出来るゲームは一見魅力的に見えますがそれはゲームを破綻させる危険をはらんでいることも意味します。また、一緒に遊ぶプレイヤーとの相性にも左右され、1度しか遊べない体験という点でも、デザイナーとして「ゲームとして大丈夫かこれ?」と思う点が多々あります。またプレイヤーの増加に伴い様々な目的をもつプレイヤーが出てくるという事で、エンジョイ勢~競技ゲームとして遊ぶという幅が生まれており、人によってはセオリーの押し付けや一緒に遊ぶ人の相性が如実に出るといったことも浮き彫りになっています。
私がマーダーミステリーに出会った時の衝撃はこの記事を読んでいる皆さんが多少なりとも共感していただける部分ではないかなと考えています。マーダーミステリーは極端な言い方をすれば協力ゲームだと思っています。一番得点を取った人がいたとして、その結果ゲームが壊れてしまうことや、そのプレイヤー以外の人が嫌な思いをすることを、多くの制作者は望んではいません。得点があるのはキャラクターの方向性を明確に指し示す指標になり、ゲームとして、物語として成立する指標となるからです。
いいゲームとは、参加者全員がゲーム終了後ずっとそのゲームの話をしたくなり、自分がプレイしたキャラクターがその後どんな人生を歩むのか、そんな思いを馳せられる体験だと言えます。
その体験を実現するためには、ルールが整備されたシナリオを制作者側が用意し、プレイヤー、そしてゲームマスターといった様々な人が最低限のルールを守って協力しあうことが必要なのではないかと思うのです。